ブリスベーン第6日目 =映画『SNOW CAKE』を見た
ブリスベーン第6日目は、見学の予定だったが、体調も考慮し、ホテルに篭って日本から追っかけてきた仕事をすることにした。予定先には連絡をいれ、同行のスタッフのみ行かせた。
朝から多数の電話。オーストラリアは時差は1時間だし携帯は普通につながるので、なんだか国外にいる気がしない。
メール処理も多数。
私が日中は仕事で外にいるはずなのに、いっぺんに何通も緊急の質問をしてくるスタッフは、私が常にすぐに返事ができる状態だとでも思っているのか、それとも、ただ自分の都合でまとめて仕事をしているのか、よくわからないが、とにかく返信を要するメールが多数。
それと原稿。
テレビもちょこっと見つつ、今後の体調を考えて横にもなった。
ブリスベーンは坂の街で、ホテル内の通路も坂になっているので、私の状態では歩くとダメージが激しい。痛みを伴うのだ。車椅子も持参しているが、なかなか難しい。
さて、表題の件。
地元で話題になっている映画『Snow Cake』が、ホテル近くで上映されていたので、夕方気晴らしに観に行った。
Snow Cake
2006年9月英国にて公開
英国ーカナダ合同制作
アラン・リックマン(ハリー・ポッターのスネイプ教授など、映画出演多数)
シガーニー・ウィーバー(エイリアンなどに出演)
キャリー=アン・モス(マトリックスなどに出演)
アメリカでは今年4〜5月に公開され、オーストラリアでは今、8月。
50代で自立した生活をする自閉症女性とその娘、両親、近所の人たち、そして、訳ありで通りがかった男性。自閉症女性の娘が交通事故で急逝した後の、関わる人たちのお互いを思いあう心。
そんなとき、心は同じなのだが、感じ方の違い、思考の違い、表現の違いを持つ自閉症の女性の1つ1つの反応に、周囲は戸惑う。
シガーニー・ウィーバーの演技は秀逸!
全体に落ち着いた飾り気のない大人の映画。
しかし、自閉症の描き方、心理的な反応、生活と死の受け容れ方など、抜群で、どうしてこの映画がもっと話題に上らないのか、呆れるほど優れている。
シガーニー演じる自閉症の中年女性の動き方、話し方、表情、好み、いつもきらきら光に反応する紙を持ち歩き、常にグレーのTシャツを身につけ、混乱した時にはダンスしたり、ギューッと締め付けるように抱きしめてもらったりという特性が、英国時代に親しくしていたロス・ブラックバーンという成人女性の当事者に良く似ていてびっくりしたが、映画のエンドロールに「Special Thanks to Ross Brackbern」と書いてあり、納得しつつも、ど〜っと涙がとめどなく出てきて止まらなくなってしまいました。歩き方、走り方、光物が好きで手をひらひらさせるところ、言葉遊びをするところなど、そっくりであった。
来年渡英する時には、ロスに絶対に会おう!
雪のウェントン・ベズリーの話は、自閉症関連の講演や本に、本当に良く出てくる。キャロル・グレイの本にも、リアン・ホリデー・ウィリーの本にも、彼女の講演にも出てくる。リアンは日本で成人当事者として講演した時、聴講者全員に雪の結晶のレプリカを配って「私を覚えていてね」と言っていた。
静かな、しかし、人生を奥深く語る映画だった。
カナダのど田舎の話だった。
違いとか
友情とか
心の底から、その人のありのままを受け容れて包み込む付き合いとか
言葉を超えた許しとか
理解や啓発を超えた、もっと高みにある何か。
通りすがりの旅人、過去に殺人を犯したことのある旅人であるアラン扮するアレックスが、行きがかり上、しばらくシガーニー演じるリンダの娘の葬式まで滞在することになったことに、近所の人たちは口うるさかったが、リンダの両親が本当に心からリンダの傍にいてくれたアレックスに感謝したのには、感激した。リンダは、自分には絶対に触ることのできないゴミ袋をゴミだしする役割だった娘がいなくなったので、はじめてのごみ出し日に娘の代わりにアレックスにやって欲しいからその日まで泊まっていけと言っただけだったのだが。これも、自閉症の脳から言えば、いろいろ説明することはできるが、今はそんな野暮なことはするまい。字義通りに解釈する彼女は「娘さんを亡くしてお気の毒に」と声を掛ける近所の人に「私は娘を失くしてはいない。彼女はただ死んだだけだ」と返事したのは、こだわりの言葉遊びのように聞こえる。彼女は本心だったが、周囲の人は悪気があると深読みする。単にソーシャルコミュニケーションスキルの問題だが、いわれた方は傷つき「私は自閉症のことはわかっているから大丈夫」と強がって見せる。
別れの日、アレックスが、中年自閉症当事者であるリンダに、「出会ってから今日まで、君にはずっと悩ませられた。でも、君のように、自分の背景や感じていることなど何も説明しなくて良い人、自分はどんな人間か等そんなこと関係なく付き合ってくれる人に初めて出会った」と言っていたのが、しみじみと私には胸に沁みた。
「刑務所にいたことがあるの?轢いた相手を殴ったから?(だから何?) 私はもうヴィヴィアン(娘)に会えない。あなたもヴィヴィアンには会えない。(ヴィヴィアンが死んだ事故を起こした)運転手もヴィヴィアンには会えない。それはみんなが乗り越えないといけないことよ。ねぇ、トランポリンしよう。トランポリンを揺らしてよ」
「どうして私が死体の確認に行かなくちゃならないの? テレビで見たけど、死体の確認はいつも2人の人が一緒に行ってた。私には二人で行くためにもう一人必要。だからアレックスはついてこなくちゃいけない」
「雪が大好き! 雪を口いっぱいに入れたら最高の気分。私には特別な体温コントロールの特性があるのよ」
「(アレックス)もう行かなくちゃいけない」
「(リンダ)駄目よ。誰がゴミを出すの?私にはできない」
「(アレックス)私にも行かなくちゃ行けない理由があるんだ」
「(リンダ)駄目よ。私は自閉症なのよ!」
「(アレックス)私に理由があるというのも、自閉症だからと主張するのと同じことだ」
この会話にはグッと来た。
自閉症や障害は、何もかも許されるスペシャル免罪符ではない。
一人の人間として必要なこと、社会人として最低限のこと、は、自分の責任で行い、また、辛くても受け容れていかなくてはならないのだ。
対等であるが故、自閉症の人もまた、成長し受け容れていかねばならないのだ。
別れのプレゼントとして、アレックスが置いていったもの。
それは、誰も思いつかないもの。
リンダを良く知っているからこそ、思いついたもの。
自閉症のことを本当に理解している人なら、相手の喜ぶもの、たとえそれが奇妙なものであっても、一番喜ぶものをあげたいと思う。それが「掛け値なしに相手を思う」ということなのだと教えられる。
その人に興味が無くても、その人が自分にくれた物体への興味を通して、その人への興味も後から湧いてくるという自閉症の人の認識の仕方のも、よく描けていた。
ちょっと大人の付き合いのシーンもあるので、子どもには見せられないのですが、成人支援が急がれるべき日本では、この映画は、ぜひともぜひとも、多くの両親、そして、支援者に見て欲しい映画です。
常ににぎやかなハッピーエンドのアメリカ映画とも違う、全体に英国調のユーモアとペーソスと、そして、イギリス人の好きな『特筆すべきことのない一般人の中に人生の真実がある』というタッチの地味な映画です。これはイギリスでは受けただろうな。有名どころばかり出演しているし。
英国では自閉症協会がキャンペーンをはり、今、オーストラリアでも、親の会や専門の団体が協賛して、特別上映会などを開いているけれども、一般の映画館でも上映中。
日本でも上映会など開くことができないかしら。
日本語の字幕が必要ですね。
とにかく、DVDを購入しよう。→しました。
*混乱した時にリンダが好んで選ぶダンス曲が、日本の民謡「えらいやっちゃ」であったのには、爆笑でした。

朝から多数の電話。オーストラリアは時差は1時間だし携帯は普通につながるので、なんだか国外にいる気がしない。
メール処理も多数。
私が日中は仕事で外にいるはずなのに、いっぺんに何通も緊急の質問をしてくるスタッフは、私が常にすぐに返事ができる状態だとでも思っているのか、それとも、ただ自分の都合でまとめて仕事をしているのか、よくわからないが、とにかく返信を要するメールが多数。
それと原稿。
テレビもちょこっと見つつ、今後の体調を考えて横にもなった。
ブリスベーンは坂の街で、ホテル内の通路も坂になっているので、私の状態では歩くとダメージが激しい。痛みを伴うのだ。車椅子も持参しているが、なかなか難しい。
さて、表題の件。
地元で話題になっている映画『Snow Cake』が、ホテル近くで上映されていたので、夕方気晴らしに観に行った。
Snow Cake
2006年9月英国にて公開
英国ーカナダ合同制作
アラン・リックマン(ハリー・ポッターのスネイプ教授など、映画出演多数)
シガーニー・ウィーバー(エイリアンなどに出演)
キャリー=アン・モス(マトリックスなどに出演)
アメリカでは今年4〜5月に公開され、オーストラリアでは今、8月。
50代で自立した生活をする自閉症女性とその娘、両親、近所の人たち、そして、訳ありで通りがかった男性。自閉症女性の娘が交通事故で急逝した後の、関わる人たちのお互いを思いあう心。
そんなとき、心は同じなのだが、感じ方の違い、思考の違い、表現の違いを持つ自閉症の女性の1つ1つの反応に、周囲は戸惑う。
シガーニー・ウィーバーの演技は秀逸!
全体に落ち着いた飾り気のない大人の映画。
しかし、自閉症の描き方、心理的な反応、生活と死の受け容れ方など、抜群で、どうしてこの映画がもっと話題に上らないのか、呆れるほど優れている。
シガーニー演じる自閉症の中年女性の動き方、話し方、表情、好み、いつもきらきら光に反応する紙を持ち歩き、常にグレーのTシャツを身につけ、混乱した時にはダンスしたり、ギューッと締め付けるように抱きしめてもらったりという特性が、英国時代に親しくしていたロス・ブラックバーンという成人女性の当事者に良く似ていてびっくりしたが、映画のエンドロールに「Special Thanks to Ross Brackbern」と書いてあり、納得しつつも、ど〜っと涙がとめどなく出てきて止まらなくなってしまいました。歩き方、走り方、光物が好きで手をひらひらさせるところ、言葉遊びをするところなど、そっくりであった。
来年渡英する時には、ロスに絶対に会おう!
雪のウェントン・ベズリーの話は、自閉症関連の講演や本に、本当に良く出てくる。キャロル・グレイの本にも、リアン・ホリデー・ウィリーの本にも、彼女の講演にも出てくる。リアンは日本で成人当事者として講演した時、聴講者全員に雪の結晶のレプリカを配って「私を覚えていてね」と言っていた。
静かな、しかし、人生を奥深く語る映画だった。
カナダのど田舎の話だった。
違いとか
友情とか
心の底から、その人のありのままを受け容れて包み込む付き合いとか
言葉を超えた許しとか
理解や啓発を超えた、もっと高みにある何か。
通りすがりの旅人、過去に殺人を犯したことのある旅人であるアラン扮するアレックスが、行きがかり上、しばらくシガーニー演じるリンダの娘の葬式まで滞在することになったことに、近所の人たちは口うるさかったが、リンダの両親が本当に心からリンダの傍にいてくれたアレックスに感謝したのには、感激した。リンダは、自分には絶対に触ることのできないゴミ袋をゴミだしする役割だった娘がいなくなったので、はじめてのごみ出し日に娘の代わりにアレックスにやって欲しいからその日まで泊まっていけと言っただけだったのだが。これも、自閉症の脳から言えば、いろいろ説明することはできるが、今はそんな野暮なことはするまい。字義通りに解釈する彼女は「娘さんを亡くしてお気の毒に」と声を掛ける近所の人に「私は娘を失くしてはいない。彼女はただ死んだだけだ」と返事したのは、こだわりの言葉遊びのように聞こえる。彼女は本心だったが、周囲の人は悪気があると深読みする。単にソーシャルコミュニケーションスキルの問題だが、いわれた方は傷つき「私は自閉症のことはわかっているから大丈夫」と強がって見せる。
別れの日、アレックスが、中年自閉症当事者であるリンダに、「出会ってから今日まで、君にはずっと悩ませられた。でも、君のように、自分の背景や感じていることなど何も説明しなくて良い人、自分はどんな人間か等そんなこと関係なく付き合ってくれる人に初めて出会った」と言っていたのが、しみじみと私には胸に沁みた。
「刑務所にいたことがあるの?轢いた相手を殴ったから?(だから何?) 私はもうヴィヴィアン(娘)に会えない。あなたもヴィヴィアンには会えない。(ヴィヴィアンが死んだ事故を起こした)運転手もヴィヴィアンには会えない。それはみんなが乗り越えないといけないことよ。ねぇ、トランポリンしよう。トランポリンを揺らしてよ」
「どうして私が死体の確認に行かなくちゃならないの? テレビで見たけど、死体の確認はいつも2人の人が一緒に行ってた。私には二人で行くためにもう一人必要。だからアレックスはついてこなくちゃいけない」
「雪が大好き! 雪を口いっぱいに入れたら最高の気分。私には特別な体温コントロールの特性があるのよ」
「(アレックス)もう行かなくちゃいけない」
「(リンダ)駄目よ。誰がゴミを出すの?私にはできない」
「(アレックス)私にも行かなくちゃ行けない理由があるんだ」
「(リンダ)駄目よ。私は自閉症なのよ!」
「(アレックス)私に理由があるというのも、自閉症だからと主張するのと同じことだ」
この会話にはグッと来た。
自閉症や障害は、何もかも許されるスペシャル免罪符ではない。
一人の人間として必要なこと、社会人として最低限のこと、は、自分の責任で行い、また、辛くても受け容れていかなくてはならないのだ。
対等であるが故、自閉症の人もまた、成長し受け容れていかねばならないのだ。
別れのプレゼントとして、アレックスが置いていったもの。
それは、誰も思いつかないもの。
リンダを良く知っているからこそ、思いついたもの。
自閉症のことを本当に理解している人なら、相手の喜ぶもの、たとえそれが奇妙なものであっても、一番喜ぶものをあげたいと思う。それが「掛け値なしに相手を思う」ということなのだと教えられる。
その人に興味が無くても、その人が自分にくれた物体への興味を通して、その人への興味も後から湧いてくるという自閉症の人の認識の仕方のも、よく描けていた。
ちょっと大人の付き合いのシーンもあるので、子どもには見せられないのですが、成人支援が急がれるべき日本では、この映画は、ぜひともぜひとも、多くの両親、そして、支援者に見て欲しい映画です。
常ににぎやかなハッピーエンドのアメリカ映画とも違う、全体に英国調のユーモアとペーソスと、そして、イギリス人の好きな『特筆すべきことのない一般人の中に人生の真実がある』というタッチの地味な映画です。これはイギリスでは受けただろうな。有名どころばかり出演しているし。
英国では自閉症協会がキャンペーンをはり、今、オーストラリアでも、親の会や専門の団体が協賛して、特別上映会などを開いているけれども、一般の映画館でも上映中。
日本でも上映会など開くことができないかしら。
日本語の字幕が必要ですね。
とにかく、DVDを購入しよう。→しました。
*混乱した時にリンダが好んで選ぶダンス曲が、日本の民謡「えらいやっちゃ」であったのには、爆笑でした。

ブリスベーン第5日目
この日は、シートンカレッジという、発達障害や何か問題を持つ生徒のための特別な高校を見に行った。
オーストラリアは、大学に入ってしまうと、大学での発達障害の支援は非常に進んでいる。しかし、高校での特別支援はあまりかんばしくないという。
そこで、この学校がオープンしたとのこと。
それも数十年の歴史がある。
在籍は200名を超え、その半数が正式な医学的診断を持っている。それ以外の生徒も、何かしら、思春期の困難を抱えている子ども達ばかりと言う。
ここでは、基本的には、一般カリキュラムで学習が進行している。
そして、学年ごとに、学習震度に応じたクラスがあり、なかには、高校とは言いながら、四則や分数の基本をやっているクラスもあった。
また、音楽療法や加配もある上に、ソーシャルスキルを特別にカリキュラムに導入しているところが特筆すべき点であった。
地域の人たちにも有名な高校であり、日本で、いわゆる「成績の芳しくない子が行く高校」というものとは異なり、積極的に「スペシャルニーズを持つ子ども達の学習や進学や進路指導を支援するために、力を入れている」高校としてよい意味で良く知られている。
日本にも絶対に必要なコンセプトだと感じた。
副校長先生の息子さんがアスペルガー症候群だということで、とても良くお付き合いくださり、たくさんの話をしてくださった。
感謝。
また訪問したい学校だと感じた。
オーストラリアは、大学に入ってしまうと、大学での発達障害の支援は非常に進んでいる。しかし、高校での特別支援はあまりかんばしくないという。
そこで、この学校がオープンしたとのこと。
それも数十年の歴史がある。
在籍は200名を超え、その半数が正式な医学的診断を持っている。それ以外の生徒も、何かしら、思春期の困難を抱えている子ども達ばかりと言う。
ここでは、基本的には、一般カリキュラムで学習が進行している。
そして、学年ごとに、学習震度に応じたクラスがあり、なかには、高校とは言いながら、四則や分数の基本をやっているクラスもあった。
また、音楽療法や加配もある上に、ソーシャルスキルを特別にカリキュラムに導入しているところが特筆すべき点であった。
地域の人たちにも有名な高校であり、日本で、いわゆる「成績の芳しくない子が行く高校」というものとは異なり、積極的に「スペシャルニーズを持つ子ども達の学習や進学や進路指導を支援するために、力を入れている」高校としてよい意味で良く知られている。
日本にも絶対に必要なコンセプトだと感じた。
副校長先生の息子さんがアスペルガー症候群だということで、とても良くお付き合いくださり、たくさんの話をしてくださった。
感謝。
また訪問したい学校だと感じた。
ブリスベーン第4日目
この日は、「オーティズム・クイーンズランド」という、それいゆのようなNPO法人でサービスを運営している機関を見学させていただいた。うちのスタッフと、それに、例の小児科医のM先生もご一緒した。
短期間のフリースクールのようなものも運営されていて、まるで学校のようだった。
研修機会の提供やコンサルテーションも展開されていて、それいゆみたいだよ、と、聞いていたが、昨日としては近いと思った。
専門のフリースクールの細かい部分で非常に参考になるアイディアがあり、佐賀に持ち帰りたいと思った。
それにしても、アメリカもオーストラリアもイギリスも、NPO法人のお金の出所というか、予算や税制措置は、やはり日本とは違うな。
いつか日本も、もう少し、お金の流れが現実に沿ったものになると良いのになと考えさせられた。
こちらでは、スロベニアから旅行と研修の両方を目的に来ている若い女性と知り合った。スロベニアや東ヨーロッパの自閉症支援の様子など、いろいろと情報交換でき、すごく楽しい。
彼女は私達の見学先に興味を持ったらしく、残りの見学先に同行させて欲しいと申し出があった。受け入れ先が了承してくれれば、一緒に行動するつもりである。
こういう出会いがあるから面白いな〜。
短期間のフリースクールのようなものも運営されていて、まるで学校のようだった。
研修機会の提供やコンサルテーションも展開されていて、それいゆみたいだよ、と、聞いていたが、昨日としては近いと思った。
専門のフリースクールの細かい部分で非常に参考になるアイディアがあり、佐賀に持ち帰りたいと思った。
それにしても、アメリカもオーストラリアもイギリスも、NPO法人のお金の出所というか、予算や税制措置は、やはり日本とは違うな。
いつか日本も、もう少し、お金の流れが現実に沿ったものになると良いのになと考えさせられた。
こちらでは、スロベニアから旅行と研修の両方を目的に来ている若い女性と知り合った。スロベニアや東ヨーロッパの自閉症支援の様子など、いろいろと情報交換でき、すごく楽しい。
彼女は私達の見学先に興味を持ったらしく、残りの見学先に同行させて欲しいと申し出があった。受け入れ先が了承してくれれば、一緒に行動するつもりである。
こういう出会いがあるから面白いな〜。
ブリスベーン第3日目
アトウッド博士の市内クリニックでの研修。
今日は、ティーンエイジャー男子と女子の2名の相談と、9歳の女の子の診断。
すごく勉強になった。
夕食を、コチラで勉強している日本人の小児科医の方とご一緒した。その方も九州の方なので、温泉などローカルな話で盛り上がったり、ASD支援や特別支援教育の今後のことなどの話も非常に有意義だった。
今日は、ティーンエイジャー男子と女子の2名の相談と、9歳の女の子の診断。
すごく勉強になった。
夕食を、コチラで勉強している日本人の小児科医の方とご一緒した。その方も九州の方なので、温泉などローカルな話で盛り上がったり、ASD支援や特別支援教育の今後のことなどの話も非常に有意義だった。
ブリスベーン第2日目
アトウッド博士のクリニックで、うちのスタッフと共に研修。
大学生のセッションがいくつかあり、非常に勉強になった。
どの家族もとても理解が深く、それも印象的だった。
お昼は奥様の手料理をいただいた。感激!
庭から野生のコアラを2頭、見ることができ、ラッキーだった。
夕方から、クイーンズランド州のアスペルガー成人のソーシャルグループに参加。4名の成人の方々と、ご家族に会うことができた。
一人の人は中高年男性で、奥様も同伴されていた。
お孫さんもいるという。
車の運転の話で、シングルトラックで大変だったという話が印象的だった。
30代男性は、最初の職業は軍人で、東チモール紛争で闘ったと言う。
帰還後に診断を受け、コンピュータープログラミングが得意で今は無職。
30代女性は家族を伴っておられた。
長女もASD.
子供服のデザイナー。
20代らしい女性は、絵が趣味だと言っていた。
今日は、親子でASDという組み合わせにたくさん出会った。
オーストラリアのアスペルガー行政支援は、特に成人に関しては何も無いと、夕方のソーシャルグループを運営しておられるクイーンズランドアスペルガー協会(?)の長の方が話してくださった。ご自身の20代の息子さんがASで、いろんな苦労をしてきたことを話してくださった。
まだまだクラシックな自閉症だけにスポットが当たっているが、それも教育に関してはインクルージョンではないことや、発生率や診断の急激な上昇に比べて予算が少ないので、94年には一人の自閉症児が週に24時間の支援を受けることができたのが、今では週一人当たり1,5時間に減ってしまった。しかも、特別支援級ではまだベビーシッティングしているかのような状態である、と、こぼしておられた。
日本もホンの数年前までは同じであった。
しかも、今でも、まだまだ担任の力量による部分が大きい。
学校支援、コンサルテーションの充実が急務であるな、そして、コンサルタント側の力量アップも急がなくては、等と、日本のこれからを思いながら、お話を伺った。
大学生のセッションがいくつかあり、非常に勉強になった。
どの家族もとても理解が深く、それも印象的だった。
お昼は奥様の手料理をいただいた。感激!
庭から野生のコアラを2頭、見ることができ、ラッキーだった。
夕方から、クイーンズランド州のアスペルガー成人のソーシャルグループに参加。4名の成人の方々と、ご家族に会うことができた。
一人の人は中高年男性で、奥様も同伴されていた。
お孫さんもいるという。
車の運転の話で、シングルトラックで大変だったという話が印象的だった。
30代男性は、最初の職業は軍人で、東チモール紛争で闘ったと言う。
帰還後に診断を受け、コンピュータープログラミングが得意で今は無職。
30代女性は家族を伴っておられた。
長女もASD.
子供服のデザイナー。
20代らしい女性は、絵が趣味だと言っていた。
今日は、親子でASDという組み合わせにたくさん出会った。
オーストラリアのアスペルガー行政支援は、特に成人に関しては何も無いと、夕方のソーシャルグループを運営しておられるクイーンズランドアスペルガー協会(?)の長の方が話してくださった。ご自身の20代の息子さんがASで、いろんな苦労をしてきたことを話してくださった。
まだまだクラシックな自閉症だけにスポットが当たっているが、それも教育に関してはインクルージョンではないことや、発生率や診断の急激な上昇に比べて予算が少ないので、94年には一人の自閉症児が週に24時間の支援を受けることができたのが、今では週一人当たり1,5時間に減ってしまった。しかも、特別支援級ではまだベビーシッティングしているかのような状態である、と、こぼしておられた。
日本もホンの数年前までは同じであった。
しかも、今でも、まだまだ担任の力量による部分が大きい。
学校支援、コンサルテーションの充実が急務であるな、そして、コンサルタント側の力量アップも急がなくては、等と、日本のこれからを思いながら、お話を伺った。





